File1.コタニ製フォークギター
今はなき、新宿御苑の近くのレコード(!)と楽器を扱っていた「コタニ」で買った記念すべき1本目。
マーチンの000タイプのいわゆる「フォークギター」です。当時私は中学2年生。
「フォークをやれば女の子に振り向いて貰える」という都市伝説を信じ、お年玉をかき集めて、
必死の思いの1万2千円で手に入れたのも青い思い出であります。
当時は今みたいに良い教則本がなく、まさに暗中模索の状態。買って2日目に弦が切れてしまい、
どうすれば良いかわからず涙目で金物屋(!)に走ったのは紛れもない事実であります。
プラモデルが趣味でもあったワタシは面相筆を駆使して、ヘッドのロゴを◯ーティンに書き換えて
高校の文化祭に出て、周囲から羨望の眼差しを浴びたのは若気の至りと申しましょうか・・・。
これは大学1年頃までいわば使い倒しておりましたが、だんだんとブリッジ付近が浮き上がってきて
仕舞いには恐ろしく弦高が高くなってしまいつつも、時々手にしていた長年の良き相棒でありました。
File2:フェンダーストラトキャスター'62リイシュー
ギターを始めて10数年経った頃。そろそろホンモノを!と思い立ち、40年ほど前に新品で手に入れました。
しかし買った当時はとにかく鳴らないギターでした。憧れのフェンダーUSAに舞い上がってしまい、
肝心の音のチェックが疎かになってしまったのが敗因で、しばらくして手放したくなりました。
しかし1年ローンでの購入だったのでそれが終わるまでと我慢はしましたが、ローンが終ったその月に
さあ嫁入り支度!とばかりにお別れと感謝の意を込めて大掃除をしてやったのでした。
ボディを磨き、フレットを磨き、最後にネックをはずして、ネジの緩みやネックの角度なども気にしつつ、
もう一度きちんと組み上げてみましたら、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あれれ??
ピックアップをテキサススペシャルに換え、ボリュームとトーンをマスターにして、はずしたトーンの穴に
すべての組み合わせができるスイッチをつけました。その後はメインとして10年くらいつきあったのですが、
長年の使用でちょっとビビリが気になるようになり、一度だけフレットの交換と指盤の調整をしてもらいました。
それでもだんだんと出番が減っていき、風格のあるうちに新しい出会いをしてもらおうと、手放したのでした。
File3:グレコ EG-420 ブラック
私が初めて買ったエレキです。レスポールカスタムのコピーなのにポジションマークはスタンダードの台形。
でもそのマークなら本来はローズウッドであるべき指坂はエボニーという訳の分からない一本でした。
当時はまだエレキギターの黎明期でメーカー側もおおらかというか、いい加減というか・・・・。
それまでフォーク一辺倒だったワタシが、泉谷しげる氏の「光と影」というレコードを聴いて、
「俺はこれからエレキだ!」(?)と思い立ったのでした。 しかし決心はしたものの、当時は情報がなく、
何を買ったらいいのか全くわかりませんでした。結局、雑誌でレスポールを渋めに抱えたレオンラッセルを見て、
かっこよい!ということだけで決めたのでした。でも当時は誰もがこんなものだったんじゃないかな?
お茶の水の○倉楽器で型番だけを告げると、お兄ちゃんはレッド・サンバーストのものを持ってきました。
しかしながら、そのど派手に主張する真っ赤なボディに恐れをなして、反射的に「黒い方」を買ってしまいました。
でもいいギターだったと思います。これはとにかく使い倒しました。
コイルタップとかいろんなスイッチをつけたりしましたが、パワーがあってどんなにいじってもいい音してました。
高校の文化祭でエルク(!)のアンプにつないで初めてフィードバック奏法を体験したのもいい思い出です。
そのうちにボディの裏の塗装が割れて剥がれてきてしまって、服にバリバリ引っかかるようになりましたが
下敷きとか張ってごまかしたりして。(それほどに分厚いウレタン塗装だったのですよ。)
その後、バンドのメンバーに貸したまま、そいつと音信不通になり、悲しいことに現在はどこに
あるかはわかりません。もうこの世にないのでは・・・。
後日談になりますが、決心をしたその曲に使われていたのがテレキャスターであることに気づいたのは
なんとそれから10年以上もたった後でした。(早く気づけよ・・・)
File4:ヤマハ SA-1000 レッド(正式なカラー名は忘れました)
今から45年くらい前に渋谷のイ○バシで購入しました。
当時大流行していたセミアコながら、中古品なので確か5万円を切った値段だったと思います。
フュージョン全盛期の頃で、リー・リトナーさんが例のダンエレクトロのオレンジの小箱をつけて
このギターの上位機種を構えているポスターが部屋に張ってあり、「同じだぁ。」と喜んでおりました。(^^ゞ
ヤマハ特有のアタックの強い音が当時はそれなりにお気に入りでしたが、結局、伸びのない
そのポツポツという音に違和感が生まれだして、最後には後輩に譲ってしまいました。
File5:フェンダージャパン TL-50 ブロンド (当時はたしかこんな型番でした)
フェンダージャパンブランドが出たときは衝撃でした。
当時は逆立ちしてやっと足の先が届くくらいの憧れのギターが5分の1くらいの値段で買えるようになったのですから!
一目散に買ったのがこのテレキャスターでした。憧れのブロンドのメイプル指板です。
中身は日本製だとはわかっていながらも、燦然と輝くそのロゴに「やっぱりフェンダーだなあ。」とニヤニヤ。
しかし実際にとても良く鳴るギターで、サブとしてずいぶん長い間使っておりました。
載せ換えたダンカンで軽くオーバードライブさせた時のフロントピックアップの音は格別でした。
でもサーキットのどこかにトラブルがおきて、パーツを取り替えてもどうしても音がとぎれるようになってからは
だんだんと出番が減っていき、当時地元だった高円寺の中古屋に売ってしまいました。
思えばこのギターはその年代からして、間違いなくフジゲンで作られたものでした。
「後悔先に立たず」とはよく言ったものですね。
File6:フェンダージャパン TL-62-75 TX (銀ちゃん)
前出の後継者のテレキャスターがこのギターです。横浜のイシバシで格安で出ていました。
なんせ色がシルバーグレーですから・・。(ホントはなんていう色かはわかりません)
ローズ指板であることと、ピックアップがテキサススペシャルであることに惹かれたのですが、今ひとつ音が抜けない。
でも色はともかく、欲しかった仕様のギターでしたので、どうしても気に入らなかったらその時は・・・、と思いながら
思い切って連れて帰ってきました。何故か「これを逃すと次はない!」と思ったんですよね。
それからは毎日のように弾いていました。すると1ヶ月を過ぎたあたりから、突然ボディが鳴り始め、
フロントピックアップのカバーが削れ始めた頃には当時在籍していたバンドでのメインにまで昇格しました。
その色から「銀ちゃん」という名前までつけて、随分長い間手元に置いておりました。
以前、誰かのインタビューにありました。「ギターってのは作られた当初はただの木で、自分が楽器に
なったことに気がついてないんだよ。でも弾きこんでいくにつれて、ああ、おれは楽器になったんだって
わかってくるんだ。そうすると初めて鳴ってくるんだよ。」本当にそんな感じのギターでした。
愛着があるだけに手放しがたかったのですが、友人の知り合いの娘さんが初めて手にするギターを
探していたので、喜んで提供させていただきました。可愛がって貰えているといいなあ。
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